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 北海道 連続登山紀行 7/26--8/15 (21日間) Part 3,利尻山

 大学のサークル部員3名で日高幌尻岳、約10名で大雪山からトムラウシを経て十勝岳に至る北海道の中央部を縦走したのち、さらに北の離島の利尻岳にも足を伸ばしました。  利尻の登山自体は海岸沿いのベースキャンプから軽装で数時間の歩行時間で山頂まで往復できました。  まだ北海道の鉄道切符の有効期間が残っていたので、利尻島を離れてから利尻島の対岸のサロベツ原生花園、そして南下して、支笏湖畔でキャンプ生活をしました。
 青文字の文章は、大学のサークル機関紙より、氏名を頭文字をイニシャルにする等、一部改変して引用。

- 利尻岳 -
 利尻岳(りしりだけ)は、国土地理院では利尻山(りしりざん)という名称がつけられているほか、「利尻富士」とも呼ばれる。  標高は1,721m。高山植物が生息し、西壁、東壁、南稜、仙法師稜がロッククライミングの対象となっている。  頂上は北峰(1,719m)と南峰(1,721m)に分かれているが、最高峰の南峰への道は崩壊が進み危険なため、一般登山者は北峰を頂上とみなしている。

7/26--8/15 (21日間-Part.2) 北海道 (大雪山〜十勝岳) から続く

8月 9日(月) 霧のち晴
 大雪山〜十勝岳の縦走を終えて下山し、温泉に入ってからバスで富良野に出て、札幌に行きました。 そこから夜行の急行列車で北に向かいました。

7.夜行列車(その1)
 個室のA寝台から通路に人のうずくまる普通車まで、あらゆる種類の車両から構成された長い列車。
 (本人の名誉のため、あえて名前を挙げないが)メンバ−の一人が旭川駅を過ぎたあたりで座席を立ったまま行方不明となった。
 MとOさんと筆者の三人でさんざん車内を探し回った末、旭川駅で列車に乗り遅れたか、寝ぼけて扉を開けてデッキから落ちたかのどちらかではないかという結論に達した。
 塩狩駅で駅員にその旨を伝え、旭川駅構内に放送などを入れているとき、別な座席で寝ていたことが判明した。恥をかいた。

 8.夜行列車(その2)
 夜半から夜明けまで、デッキの扉を開け、夜気にあたりながら想いを廻らせようとする。  −暗い林と野原。曇り空。廻らせる想いなどあるはずもなく、ただ流れ去る寂寞とした風景をぼんやり眺めていた。


 起床 04:30、上ホロ小屋 07:30…(徒歩 90分)…09:00 十勝岳温泉 (稜雲閣・入浴 09:40-10:30) 11:00-(上富良野町営/バス)-11:25 上富良野 11:48-(JNR/各停 627D)-12:05 富良野 12:46-(JNR/各停)-14:08 滝川 14:20-(JNR/特急 ライラック10号)-15:23 札幌(16:25…17:05 コインランドリ-18:40…19:05 松尾ジンギスカン 20:40…20:50) 21:25-(JNR/急行 利尻 317 車中泊 )-
本日の歩行時間計 1時間30分

8月10日(火) 雨のち曇
 朝に稚内について直ぐに港に向かい、利尻島行きの船に乗りました。  港のそばの公園のようなキャンプ場でテントを張って、泊まりました。

 天気曇り。 そして稚内は北の端を思わせる街だった。  いよいよ利尻である。 この日は島内で買い出し。海辺に出て遊んだりして過ごす。

 9.利尻島 −特別付録−
夢の浮島・神の山
 鴛泊は町ともいえないような小さな町。 観光客相手の飲食店が数軒、土産店が数軒。 定期船の到着、その町が一種異様な喧騒を見せる。
 陽気を装う観光業者。 狭い裾野に張り付いて生活に追われる島民。
 神の山は本島を見つめ、島民は山を見つめる。 そして観光業者は内地を見つめる。 九百円のワインに千円札を出すと百円札が帰ってきた。


 起床 05:50、-(JNR/急行 利尻 317)-06:22 稚内 06:25…06:33 稚内港 07:20〜(東日本海フェリー/船)〜09:25 鴛泊港 12:30…12:50 鴛泊キャンプ場 (…ポン岬 ) 鴛泊キャンプ場、就寝 20:30

-サロベツ原野・稚咲内第二キャンプ場、遠くに利尻岳が見える-

8月11日(水) 曇のち晴
 天候がまあまあ良い中、利尻岳に日帰りで登頂しました。 頂上からの展望も良く、北海道の本島が見えました。

 利尻岳に登る。 今一つ天気は冴えない。 途中の避難小屋でお昼に食べた時も寒さに震えた。  そこからピ−クまで、非常に風が強く、ちょっと風邪をひいていた私はモタモタと登った。  ピ−クにはしかし180°の展望(礼文島側)があり、まずまずだった。  ピ−クに立てば、北の端にいることを実感するのだった。
 幕場に戻ってその日の午後は自由行動となった。  M1さん、M2さん以外の六人は五人用のレンタカ−で島一周に出かけた。  信号一つない道。楽しいドライブだ。
 だが、中でも御先公園で見た、海に沈みゆく夕陽は圧巻だった。  まさに“雲の饗宴”であった。 そしてそこに聳える利尻岳。  その昔、山が神と見なされた感覚がよくわかった。  それほどの偉容と神々しさを誇っていた。
 右手に利尻、左手に海、夕陽。  その最中にいて、今更ながら、自然の美しさ、大きさに 息を呑む思いで、心の底からこの山行に参加できたことを感謝した。


 起床 04:00、鴛泊キャンプ場 (06:10…(徒歩 150分)…08:40 長官山 09:15…(徒歩 55分)…10:10 利尻岳 10:55…(徒歩 40分)…11:35 長官山 11:40…(徒歩 35分)…12:15(休)12:25…(徒歩 40分)…13:05 ポン山分岐 13:30…(徒歩 30分)…14:00 ) キャンプ場〜16:30 利尻島内一周ドライブ 19:20 鴛泊キャンプ場、就寝時刻は不明
本日の歩行時間計 5時間50分

8月12日(木) 曇、朝方晴、夕方雨
 利尻岳の登頂を果たし、本島に戻りました。 まだ日程に余裕があったので、利尻島の見える海岸に行ってキャンプをしました。

 利尻島を離れた。 利尻山は本当にきれいな形をしている、立派な山だ。  みんな遠くにかすんでしまうまで思い思いに眺めていた。
 予備日も使わず、無事全予定を消化して、さてどこに行こう、という段になって、S君推薦のサロベツ原野に行くことになる。  バスを降りると、雨が降っており、辺りには人っ子一人いず、なんだか捨てられた気分だった。
 ところがどっこい結果的にはとても楽しい一夜であった。  波打ち際にテントを張るというのは初めての経験だったが、なかなか良いもの。  時々灯台の明かりが光って見える、遠くにかすんだ利尻を見ながらの焚き火は格別だった。
 ただ、虫が多いのには閉口した。  S君は最初の皆のげんなりした表情に責任を感じたようですが、楽しかったですよ、どうもありがとう。


 起床 05:40、鴛泊 キャンプ場09:25…09:35 鴛泊港 09:55〜(東日本海フェリー/船)〜12:00 稚内港 12:05…12:15 稚内 15:37-(JNR)-16:24 豊富 17:00-(沿岸バス)-17:25 稚咲内第二 17:30…17:40 稚咲内第二 キャンプ場、就寝 翌00:30

8月13日(金) 曇のち晴
 まだ日程に余裕があったので、今度は鉄道とバスを乗り継いで、支笏湖のほとりのキャンプ場に行きました。

 のんびりとした列車の旅が楽しい。  辺り一面放牧地帯だったのが、塩狩峠を越す辺りで畑が多く見られるようになる。  風に揺れる黄色い花の群落は、アキノキリンソウか何かであろうか。  北海道の早い秋の訪れを感じさせた。
 札幌から千歳空港に出て、いざ買い出しという時、男の人たちが買い出しから料理までしてくれることになった。  はしゃいだ水越さんと私は、お昼をすませてまたもパフェを食べた。
 この日は支笏湖畔にテントを張った。
 この日の夕食のおいしかったこと!  ニ−ス風トマトソ−スの煮込みと中国料理の二品で、コックさんが皆男の人なのも、肯ける出来映えであった。


 起床 05:10、稚咲内第二 キャンプ場06:10…06:25 稚咲内第二 06:35-(沿岸バス)-07:00 豊富 07:54-(JNR/急行 宗谷 306D)-13:43 札幌 14:08-(JNR)-14:52 千歳(買物)16:34-(北海道中央バス)-17:15 支笏湖畔 17:30…(徒歩 70分)…18:40 モ-ラップ キャンプ場、就寝、就寝 翌02:10

8月14日(土) 晴、朝時々小雨
 札幌に行き、午後は各自自由行動とし、私は北海道大学の構内を散策しました。  市内の繁華街のホテルに行って、バイキングコースで打ち上げをしました。  それから夜行列車で帰京の途につきました。

 時折小雨が降り、湖に虹がかかってきれいだった。  この日の午後は札幌に出た後、自由行動となった。
 ちなみに私の行動を言えば、ラ−メン横丁(“天鳳”という店がおいしいと、電車で隣のおじさんが教えてくれた。)大通公園、北大植物公園、五番館(おみやげ)、そして皆の待ち合わせのホテルという行程、北大の植物園は絶対お薦めする。  都会の中とは思われない静けさ。  種類豊富な緑、こんな空間を持っている札幌市民がちょっぴりうらやましくなった。
 さて、ホテルで“北海道食べ放題”というのに又々挑戦したのだが、かなり食糧事情のよい日々を送っていたせいか、意地で食べている風だった。


 起床 07:00、モ-ラップ キャンプ場10:18…10:21 モ-ラップ 10:30-(バス)-10:40 支笏湖畔 11:15-(北海道中央バス)-11:55 千歳 12:14-(JR)-13:00 札幌駅 13:40…13:45 北海道大学 16:55…17:00 札幌駅 17:10…18:00 Hotel.サンフラワ-20:25…20:30 薄野 20:35-(札幌市営地下鉄/南北線)-北12条-(地下鉄)-20:53 札幌駅 21:33-(JNR/各駅 44 車中泊 )-

8月15日(日) 晴
 長距離列車と連絡船を乗り継いで、ひたすら南下して帰宅しました。

 とうとう、この北の大地を離れる時がやってきた。 函館で朝市をのぞいた後で、青函連絡船に乗り、皆思い思いにデッキに立ってかの地を眺めるのであった。

 起床 04:40、-(JNR/各駅 44)-05:01 函館 07:15〜(JNR/青函連絡船 26便)〜11:05 青森 12:55-(JNR/特急 はつかり10号 28M)-21:43 上野 21:48-(各駅)-22:18 駅 22:22…22:27 家

 10.サロベツ
 画用紙一面、薄い灰色を塗り、平行線を3本横切らせる。  4等分された風景の上から空、海、砂浜、そして自然堤防。振り返れば、そこにはただ曠野が広がるばかり。  (あなたはそこにハマナスの深い紫を一輪、見つけることができるだろうか?)
 私たちがここを訪れる2日ほど前、付近の海岸に上半身だけの死体が打ち上げられたという。

 11.モ−ラップの晩餐
 女性2人がこれまで約2週間の献立作りや調理に厭きはじめ、サボタ−ジュしそうな雰囲気だった。  そこで今日は食当慰労日ということにして、2人とM以外の5人で料理することとなり、料理の本なぞを買い込み、献立をたてて買い出しをした。  料理を作るとき、MさんとOさんは喜んでキャンプ場の喫茶店でお喋りをしていたが、Mは「おまえらだけでは心配だ。」と居残って、筆者に料理の手順を音読させたりしながら、調理をしていた。  (替りにKが女の子たちと話しこんでいた)
 それにしても彼女たち、これから先40年間、約四万回分の食事をど−やって作っていくのやら、心配だ。

札幌の思い出
 大通り公園のベンチに座っていた。  遠くで右翼が日教組批判の演説をしていた。  やたらとトウモロコシ売りの屋台があった。  噴水が勢いよく水を吹き出していた。  家族づれ、恋人同士、や−さん、とにかく人が多かった。  芝生があった。  花がたくさんさいていた。  アイスクリ−ムが地面に落ちて溶けていた。
 空が青かった・・そこまでで記憶が途絶えている。  なぜなら僕はそのまま一時間半も、そのベンチで寝こんでしまっていたから。
 目が覚めると、僕を囲んでいた数人の人が、あわてて遠ざかった。  恥しい思い出ではある。
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