診療科目 歯科 矯正歯科 小児歯科 口腔外科 TEL 03 (3223) 4182(良い歯に) 
 さいとう歯科 高円寺診療所 JR中央線 高円寺駅 北口から徒歩6分 北中通り商店街の西端、高円寺北三郵便局の隣 
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群馬 6/ 5--6/ 8  ( 4日間) 鳩待峠〜至仏山〜山鼻〜尾瀬ヶ原〜見晴小屋〜燧ケ岳〜三条ノ滝〜尾瀬沼〜富士見下

 大学1年の春に、山登りの入門コース的な意味合いで、サークルのメンバー約10名で尾瀬に行きました。  春の尾瀬はそれなりに登山客で混雑していましたが、天気もまあまあ良く、山登りに慣れる、という意味合いでは快適でした。

 青文字の文章は、大学のサークル機関紙より、氏名を頭文字をイニシャルにする等、一部改変して引用。

- 至仏山 -

 至仏山(しぶつさん)は、群馬県の北東部の標高2,228.1mの山で、二等三角点が設置されている。  日本百名山の1つに数えられており、尾瀬国立公園に属する。  至仏山は、オゼソウ・ホソバヒナウスユキソウ・タカネバラ等の高山植物が有名で、尾瀬一帯を眼下に見下ろすことができる。  山体が蛇紋岩で出来ているため、特殊な蛇紋岩植物と呼ばれる植物群が生育することで植物ファンに名高い。

 燧ヶ岳(ひうちがたけ)は福島県にある火山。尾瀬国立公園内にあり、至仏山とともに尾瀬を代表する山でもある。  東北地方最高峰 (2,356m)であり日本百名山に選定されている。  火口付近には5つのピークがあるが、登山道があって行くことのできるのは、柴安?、俎?、ミノブチ岳の3つである。  俎?には二等三角点がある。燧ヶ岳は、2,300m以上の山として日本で最も北に位置する。  日本国内では、燧ヶ岳より北にそれより高い地点はない。

6月 5日(木)
 上野駅からの出発。 見送りの人数が多いのとTさんのエ−ルが印象的だった。  車内は、UさんやSさんと一緒で楽しかったが、Sさんが遠慮したので私も遠慮せざるを得なくなる。 夜行で寝るのはきつい。 格好を気にしていると何もできない。  堂々と床にマットを敷いて寝ている人がいたが、見習うべきだろう。

 家 20:45…20:50 駅 20:52-(各停)-21:30 上野駅 22:13-(JNR/各停 733M 長岡行き) (車中泊)-

- 尾瀬ヶ原 -

6月 6日(金) 晴
 午前2時17分、沼田着。 山姿の人が列をつくってバスを待っていた。 空気は湿気を含んで重く、皮膚にまといつく感じである。  ひんやり、を越えており、思わず身震いする。 5時10分、鳩待峠着。かなり豪勢な朝食をとった後、”トレベで食器をふく”が慣れていない為 違和感が残る。 (が、二日もたてば慣れる)至仏の頂上はところどころに雪が残り、快晴の空を背景にして美しい。
 さて、記念すべき一本目。 ひたすらSub LeaderのAさんの足を見て歩く。 一歩一歩踏みしめて登るのだが、十五分で呼吸が乱れる。 我ながら情けない。  マラソンのデットポイントだと言い聞かせるのだが、更に十分経過した時点で、苦痛が腹へと移動した。 「なぜ山へ登るのか。」というあの有名な命題を、お門違いにも考える。  私には、マラソンと全く同種のものに思えてならなかった。 走り終えた後の爽快感、などと言われるが、私には無い。  ただ、ゴ−ルに倒れる様にたどり着き、瀕死の犬の様に口を開け、地面をみつめて呼吸する。  「こぶしの花だよ。」という声にも見る余裕などなく、うなずくようで、本当に何を好んで登るのだろう。 足を前に出していさえすれば、いつか道が終わる。  だから今は歩くしかない。 いつ気絶するだろう。  全ての拘束から解き放たれた時の意識の爽快さを夢想して歩いている。 しかし、やはりそう簡単に気絶しはしない。
 7時50分、休憩をとる。 雪の上に投げ出すようにキスリングを置いた時、ほっとしたことは覚えている。 他のメンバ−は話をしている。  MさんとYさんがマットで雪すべりをやっているのを見ながら、ここには私と比較にならぬ体力の持ち主ばかり集まっているのだろう。と考える。  血液のゆきわたらぬ頭で考えるのも億劫になり、ただ黙って座っている。
 8時50分に出発する。 9時、悪沢着。 ここで皆遊びまくった。  斜め前方に緑色の濃い尾瀬を隔てて、明日登る燧岳が見えるが、明日は明日、今日は今日と割り切り、少し疲労が回復したので仲間にはいる。  そこら一面の眩しいような雪原で、さっそく雪ぞりを始めたのが、やはりMさんとYさんである。  Uさんも喜んでやり始める。 Sさんと私も、おもしろそうだと滑ってみた。 下にいるUさんに全幅の信頼を置き、安心して逆さまに滑り落ちる。  やはり私は頭の方が重いらしい。 なんとか止めてもらって斜面をはい登るのが、また一苦労であった。 その間、Yさんは雪を入れた水ポリを抱いて  日向ぼっこである。 そして、何より忘れられないのがオレンジかき氷。 あれは名案だった。  穴を掘って真っ白な雪をすくい、上から濃いオレンジジュ−スをかけ、ザクザク音をさせて食べる。  穴を覗き込んで、その側面を、スプ−ンでガリガリ削り取るのも実に良い。 D君が「うまい。うまい。」を連発して何度もおかわりをしている。
 10時半 出発。 (一時間半の休憩だった。) 至仏のピ−ク、11時15分。 雪をかぶった上越の山々が、鮮やかに前方に浮かぶ。 皆は、口々に「美しい」と言うが、不思議な程何も感じない。  疲労は感受性まで鈍らせるのだろうか。
 12時40分、昼食をとる。 二千mを越す高山に、なぜハエの大群がいるのだろう。「ハエはここで生まれ育ったのか、それとも我々が運びあげたのか。」という議論を誰かがやっている。  13時45分 下り始める。 Uさんは楽々と降りてゆく。 追いついても、またあっ という間に視界から消え去る。  不安定な外観を呈している石の上に、全体重をかけるのが恐ろしくて、冷汗が流れる。 汗をぬぐう余裕もなく降りてゆくのだが、降りても降りても、目に入るのは変わりばえのしない岩の道である。  いやという程岩を滑った後に、やっと休憩をとる。 ぐったりと疲れていた。 あの時の水とビワの味は忘れられない。
 15時15分、なんとか山鼻小屋にたどりつく。 だんだん岩が少なくなり、土が見えるようになった時の喜び、何とも言えなかった。 これからは平地だと  安心して水を思い切り飲む。 しかしコップで飲むのと、手で掬って飲むのとは、何故味が違うのだろう。 ある人いわく「手で飲むのは脂がつくからおいしいんだよ。」  科学的に分析するとおぞましい。 素直に飲むのが良いようだ。
 陽が傾き始める。 尾瀬がこれ程広いところとは思ってもみなかった。 視線が届く限りに木道が伸びている。 前方には燧岳、ふり返ると苦労した至仏。  よく登ったものだと改めて感心する。 ロシアの風景じみた白樺林が前後左右に点在し、足元の水芭蕉の間には、おたまじゃくしが群れている。  こういう場所は、キスリングなど置き忘れ、ゆっくりと一日かけて歩くのが良い。
 次第に陽が翳り、尾瀬全体が暮色に染まる中、燧が近づき、ふり返る度に至仏が遠ざかってゆく。  経験の一回性ということが言われるが、風景にも全く同じ事が言える。 いつまでも心に残る風景に出会える者は幸せであろう。
 薄暗い中、6時20分に見晴到着。 テント生活に慣れていないので、実に要領が悪い。 酒を控え目にして早めに寝る。


 -(JNR/各停 733M 長岡行き)-02:20 沼田駅 03:18-(東武鉄道/バス)-04:20 戸倉 05:20-(関越観光/バス)-05:42 鳩待峠 (朝食 06:00-06:30) 07:05…(徒歩 45分)…07:50(標高1880m地点)08:15…(徒歩 45分)…09:00(休憩)10:30…(徒歩 50分)…11:20 至仏山 12:30…(徒歩 14分)…12:44(休憩)13:45…(徒歩 57分)…14:42(休憩)15:00…(徒歩 20分)…15:20 山鼻 15:45…(徒歩 50分)…16:35(休憩)17:05…(徒歩 25分)…17:30(休憩)17:55…(徒歩 29分)…18:24 見晴小屋18:30 …(徒歩 5分)… 18:35 見晴△、夕食 20:30-21:10、就寝 23:10
本日の歩行時間計 6時間40分

6月 7日(土) 晴、夕方曇
 エスパ−スの脇を地響きをたてて走ってゆく足音で目が覚める。 そう派手に走らなくても良い様なものだが、林立するテントの間をこけない様に走るのも一苦労だろうと想像する。  さて、今日は空身である。 雨が降りそうな空を眺め、だるいなぁと思うが、背中が軽いだけ気が軽い。  9時50分 尾瀬沼着。 土曜日だということもあり、ピクニックまがいのグル−プも多く、ぞろぞろと行列をつくって歩く。
 10時15分、雪渓下で休憩。  頂上はもうすぐなのだが、雪があるたびに遊ぶので、燧のピ−クに着いたのは1時だった。 昼食をとり、赤ナグレ岳のピ−クに2時。 下を見るとゾッとする。  また恐怖の岩滑りであろうか。 Uさんはアタックを背負って早稲田の栄光を歌いながら降りてゆく。 途中の雪の斜面は、すべり台式で降りた。  なかなか楽しかったが、少し危険でもあった。
 さて、雪が消え、石の道を少し降りると、土(泥)が大分まじった道となった。  そこでだんだん下るのが楽しくなってきて、石を踏み、木の根をまたぎ、駈け降りた。 岩から飛び降りると、下で待っていたおじさんが「地響がするよ」と言って笑った。  なかなか気持ちが良かったのだが、後ろのことを考えなかったのは悪かった。 自分勝手であった。
 3時半 温泉小屋着。 ここから三条ノ滝へと向かうのだが、私の受け持ちはここまでである。  やはり印象記になってしまったが、初の山行記ということで大目に見てほしい。 (前半 了)

 3時半 我々がうんざりする程長く、単調な燧ヶ岳の下りを終えて、赤田代温泉小屋にたどりついた頃には、尾瀬の温泉はもうほんのりと暮色に染まっていた。  だが雲一つない青空は驚くほど高く感ぜられ、下ばかり見て歩いてきた僕の眼の疲れを吸いとってくれるかのようだった。
 本来ならばもう暮場に着いてもよい時刻ではあるがこれから三条ノ滝ピストンである。 4時過ぎにおもむろに出発したが、休憩の間、一行の口数は極めて少なかった。  半ば走り半ば飛ぶようだった燧ヶ岳の下りとはうってかわって、かなりゆっくりとしたペ−スで三条ノ滝へ向かった。  そうなると今まで思考をめぐらす余裕のなかった頭の中に様々な観念がいちどきに湧き出してくるが、それについては後述したいと思う。  三条ノ滝への道は、高低差はそれほどないかわりに、凸凹が多くて面倒であった。 途中平滑ノ滝なる所で休みをとったが、どれが滝なのか全くわからなかった。 三条ノ滝には5時に着いた。
 ここでは、けたたましく、それでいてそれでいてどこかしら親近感を覚えるあの滝の音が、一時間のバックミュ−ジックとなった。  さすがに皆、この豪壮な滝の容姿に大なり小なり目を奪われたようだった。 純粋な驚きを感じる機会というものが、今日の我々にはあまりに少ない。  Yさんがお得意のパイナップル切りを始める。 Sさんが滝を見ながらしきりにノ−トに何か書きつけている。 僕もしばしば滝に目を向けてみた。  真偽は定かではないが、どこかに「水量は日本一の滝だ。」と書いてあった。 日本一か…アングルはとてもよい。 よく見ると水の外側を別の水がより速いスピ−ドで落下してゆく。  追い越す水と追い越される水。 落ちはじめの初速が異なれば当然起る現象だろうが、追い越されてばかりいる水が何となくみじめに思われた。

 甘いパインを食べ、個人主張や、はしたない写真をとって6時に出発。 幕場まで一本で行く。  この間、別に記すこともないので、個人的にふと思ったことを書いてみたい。(もちろん読まなくても結構です。)  近年、現代人の感覚麻痺とか感覚閉鎖などが指摘され、それ故五感の組み換えの必要性がしきりに説かれている。  即ち人間の諸感覚―視覚・聴覚・触角・はたまた味覚から嗅覚まで―の新しい配分比率を発見すべしという提唱である。  この諸感覚の中で言うまでもなく〈共通感覚〉として特別の地位を付与されているのが触角である。 実はこのことが、三条ノ滝からの帰りになんとなく実感できたような気がしたのだ。
 我々が山を歩くとき、大別して4つのものの上を歩く。 石と木と土と、そして雪である。  このうちで今は雪を除外するとして、残りの3つのものの上を歩くとき、それらは厚い登山靴の底を通してさえも、それぞれに異なった感覚を我々の触角に与える。
 言うまでもなく、最も固いのは石。  その弾力性の全くない、骨までも伝わるような冷たい感触は、我々に時として絶大な信頼感を、そして時として激しい憎しみを感じさせる。
 木は微妙な固さを持ち、いわば優柔不断な感触を与える。  そして最も柔らかく、我々の足をいつでも優しく受け止めてくれるのは土。特にほんのりと水分を含んだ土の感触は、たとえようもない安らぎを我々に与えてくれる。  そしてこの三者の感触の違いはいくら静かに歩いてみても、そればかりか目を閉じて歩いてみてさえも歴然と判別できる。  当たり前の事かも知れないが、何やらたまらなく嬉しかった。 この三者の感触の違いを、人間の性格に例えてみるなどという野暮なことはすまい。  ただ、毎日毎日都会の冷たいコンクリ−トの上を歩き続けているはずの我々の触覚が、意外なほど鋭いのだなということに一種の驚きを覚えただけのことである。  しかしこの様なたわいもない瞑想も比較的楽な道だからこそできるのであって、歩くのに精一杯のもっと苦しい道などではとてもできるものではない。  何だか悲しい気もするけれど、それでよいのだと思う。
 こうしたことを思いめぐらせているうちに、温泉小屋を過ぎ、再び尾瀬ヶ原の二本の木道の上を、とぼとぼと辿ってゆくことになる。  もう日は西に大きく傾き、湿原の草木は、ほのかな陽の光の中に、先ほどとは違った香りを漂わせている。  都会では人々が一日の仕事を終え、街頭やホ−ムにあふれだす、倦怠に満ちあふれた時刻、山では倦怠は少しも感じられず、ただ漠然とした疲労感のみが体をつつむ。  近くの林でうぐいすが鳴き、木道を行きかう人影もほとんどなかった。
 幕場である見晴についたのは7時20分、夕食にありつけるのは何時になるだろう…。  正確な時刻は忘れたが、皆が空腹を満たしてくつろぎ始めたのはもう9時半に近かったのではなかっただろうか?  それにしても待ちに待って口にしたコンビ−フシチュ−の何とおいしかったことか!!  もう大方のテントは静まりかえり、水場に行っても岳文のテントだけに灯がともっているのですぐにわかる。  Yさんは奥に横になって、「そうか。」を連発、女の子たちは笑いころげるばかり。  特に話すべきこともなく、歌をうたっては隣のテントからおこられて、非常にしんみりとした一夜だった。  そこで一言、樹氷はまずい!!
 明け方、にわか雨に夢を洗われて大わらわだったらしいが、僕も含めて寝ていた人は寝ていたようだ。明日の天気を気にしつつ…。


 起床 06:05、朝食 06:30-07:30、見晴△08:25…(徒歩 80分)…09:45 沼尻 10:15…(徒歩 50分)…11:05(休憩)11:30…(徒歩 30分)…12:00(雪渓)12:22…(徒歩 6分)…12:28(雪渓)12:40…(徒歩 20分)…13:00 燧ケ岳 13:45…(徒歩 110分)…15:35 温泉小屋 16:15…(徒歩 15分)…16:30 平滑ノ滝 16:36…(徒歩 24分)…17:00 三条ノ滝 18:00…(徒歩 100分)…19:40 見晴小屋△、夕食 21:10-21:30、就寝 翌00:50
本日の歩行時間計 7時間15分

6月 8日(日) 曇一時晴、時々雨
 8時10分に幕場発、今日のコ−スは変更されて八木沢を通らずに、竜宮小屋経由で長沢新道を経て富士見峠に向かう。
 竜宮小屋をまわったのが8時40分、ここから富士見峠までの道もかなり難儀だった。 第一、下山するはずなのに登らなくてはならないのが何とも不思議な気がした。  一時間ほど登って一本とったが、水を大量に飲んでしまった。 ここからは登りも次第にゆるやかになり、富士見峠の小屋に着いたのが10時55分。
 汗にしめったシャツに冷たい風が吹きつける。震えながら早めの昼食をとった。 この先は道幅も広くなり、富士見下まで下るだけだ。  下界が次第に近づくにつれ、暗澹たる気持ちになるのは何故だろうか。 山へ来たなら帰るのは当然のことで、いちいち暗澹としていたのでは困る。  早く先輩に見習って割り切れるようになりたいものだ。
 12時35分、富士見下着。ジュ−スで乾杯「ごくろうさんでした!!」
 バスで沼田へ下る。バスのなかでは、前の席で隣のおじさん(狸寝入り!!)の肩を枕にして眠るSさんと、その上に平行になって眠るMさんとの寝顔をSさんと一緒に眺めて楽しんでいた。  沼田着14時50分、14時52分の列車は見合わせて、近くの店で打ち上げを挙行した。


 起床 05:35、朝食 06:30-07:00、見晴△08:10…(徒歩 30分)…08:40 四つ又 08:50…(徒歩 52分)…09:42(休憩)09:58…(徒歩 57分)…10:55 富士見小屋 11:20…(徒歩 75分)…12:35 富士見下 13:25-(東武鉄道/バス)-14:50 沼田駅 15:47-(JNR/各駅 728M)-16:33 高崎駅 16:46-(JNR/各駅 922M)-18:46 上野駅 18:50-(各駅)-19:25 駅 19:30…19:35 家
本日の歩行時間計 3時間34分

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